福島県民が思う、3.11から8年「あの日ふくしまにいた」からこそ、今言えること。 | 秒刊SUNDAY  

福島県民が思う、3.11から8年「あの日ふくしまにいた」からこそ、今言えること。

東日本大震災が発生した時、筆者は福島県いわき市に居た。地震が起きた15時前、揺れがひどく、建物の中にはいることが出来なかった。すぐに外に飛び出し、道に真ん中に逃げたが、このまま道路が沈む恐怖を感じた。この世が終わると、本当に思った。そこからは、地獄が待っていた。

停電のため、車に避難して、暖を取りながら、ナビでTVを見ていた。この時突然雪が降り出して来た。そしてTVの映像には、信じられない姿が映しだされていた。

実家もいわき市にあったが、二度の大きな揺れに耐えられずに、崩れ堕ちた。実家が無くなった。想い出が、がれきになった。卒業証書やアルバムだけを何とか発見出来た。それ以外の実家に置いてあった想い出もものは、全てこの時に失った。

いわき市は、停電は早めに復旧したが、断水が長く続いた。地域によっては、1ヶ月間続いた。水が出ないことは、相当なストレスだ。お風呂にも、入れないし、シャワーも浴びれない。毎日給水所に通うことになった。そのポリタンクも売り切れ。コンビニ、スーパーから物が消え、ガソリンスタンドには、毎日行列。

原発建屋の爆発の時は、市外へ一斉に避難が始まったが、首都圏に通じる高速道路の常磐道が封鎖。国道が大渋滞。市外への避難もままならない状態だった。この時は、正直命の危険を感じた。正しく戦争の風景だった

その後市内には、原発で立ち入り禁止区域になった地域の人々が、多数いわき市に流入して来た。生活復興のために、原発の賠償金を使って住宅を建てる方が続出。宅地が高騰し、しまいには、宅地が無くなり、マンションがバンバン建つ異様な光景になった。

筆者が幼い頃は、いわき市にマンションが建つなどということは、想像だにしていなかった。市民は、今、他の街から引っ越して来た方達と共存して生活している。

そして、いわき市出身の女優武田玲奈さんや同じくいわき市出身の箱根駅伝の山の神柏原竜二さんなどが、震災後度々市内を訪れて、市民を勇気付けた。

復興はマラソン

あの日現場に居たからこそ、ハッキリと言える。復興はマラソン。長い道のりだし、ゴールははるか遠い先だ。ゴールするまで、辛い想いもたくさんする。そしてこの辛い想いは、一生癒えることは無いだろう。しかし、前を向いて行くしかない。そして、ゴールは、ひとそれぞれ。だからこそ、まだ辛い想いに苦しんでいるひとに、塩を塗るような行為だけは止めて頂きたい。

それが、震災を経験した方の共通の想いだ。

掲載写真 写真AC

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